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ここは勝負の分かれ目じゃないわよん
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テスト期間の休息
2008年7月20日
コメント (6)
コント班同窓会(?)に行ってきた。
plusの書く通り、皆あまり変わってなかった。
遊び疲れた。
気持ちよかったね。
忘れずにポニョも歌ってきた。
では。
追記:日付ミスった…。深夜に書く場合、日付が変わる前の日にちで書いてたのに。
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コメント
密費で
2008年7月20日12:24
最近渋谷に行ったのはこないだの月曜(14日)だけで、それ以前は1〜2ヶ月行ってないから、そっちが渋谷駅に行く頻度にもよるけど、ほんとに見かけたとしたら結構な偶然。
ところで、小学校卒業してから6年ちょっと、小学校の同級生を偶然見かけたことが二桁ないんだけど。地元なんだから駅とかでもっと頻繁に見かけてもいいような…。地元って案外広いのか?w
偶然「会った」ことに目がいきがちだけど、顔見知りならそれこそ100人以上いるわけで、その大半が東京で活動してるのに、たとえ新宿や渋谷や池袋みたいな遭遇率の高そうなところに行っても、だいたいの場合はその誰とも「会わない」っていうことに目を向けても面白いんじゃない? 少なくとも予期せず知り合いに会ったときに「世界は狭いんだなあ」と思っちゃうくらいには世界は広いよね。頻繁にそういうことがあれば偶然とも感じなくなるから。
NAS○
2008年7月20日21:14
月曜の夕方7時前後、山手線の玉川改札前らへんで見たと思う。
そうか。そんなにレアなケースだったのか。話しかけてみればよかった。
2桁ないって少ないな。俺小学校地元じゃないのに渋谷とかで6人ぐらい見たことあるよ(それぞれ別の機会で)。
まあ渋谷が通学路に入ってると、登下校の時間帯はどこの高校も似たようなものになるから、そういう人たちに会うのは「偶然」といっていいのかわからないけど。
登校する時間帯ってだいたい決まってるから、会わない人とは会わないんだよね。
同じ駅を使う小学校の同級生には全く会わなかった。
なるほど。世界が広いという前提あっての「世界は狭い」だよね。ちょっと話は変わるかも知れないけど、えてして人は印象に残ったことだけ覚えていて、特に何もなかった時(or予想通り)のことは記憶から消えちゃうよね。偶然が多いかのように感じちゃうよなあ。俺、脳内でこの論理を駆使して、勝手に物事に納得することが結構ある。
概算でいいからどれくらいの確率で会うかっていうのがわかったら面白いなあ。
電車使ってる時ってあんまり回りの人の顔とか見ないこと多いからなあ。
俺の場合、イレギュラーな活動が少ないしなあ。
ちなみに、JR新宿駅の1日平均乗車人員 785,801人。JR渋谷駅の1日平均乗車人員 445,730人。
私鉄とかもあわせると、乗降人数の概算は両駅とも300万を越える。
密費で
2008年7月21日2:47
俺も流石に二桁ないってのは少なすぎると思う。たぶん視界に入っても、小学生の頃から容姿が変わってて気付かなかったり、たいして変わってなくても俺が小学校の同級生の顔なんて覚えてなくてわかんなかったりしてるんだろうなー。
『公園のベンチで長い時間ぼんやりしていると、風景というものが実は意識的にしか見えないものだということに気付く。波紋の広がる池、苔生した石垣、樹木、花、飛行機雲、それらすべてが視界に入っている状態というのは、実は何も見えておらず、何か一つ、たとえば池に浮かぶ水鳥を見たと意識してはじめて、ほかの一切から切り離された水鳥が、水鳥として現れるのだ。』(吉田修一「パーク・ライフ」)
見たもの(人)と概念(人の名前)が一致しないかぎりそれ(その人)を見たことにはならないんだなあ。当たり前のことだけど。
偶然とひとくちに言うけど、俺が月曜に渋谷に行ったのはMTGの新エキスパンションのプレリリースの直後でMTGして遊びたくなったからで、普段渋谷で遊んだら結構遅くまで帰らないのに7時っていう比較的早い時間に帰ったのは前日漫喫泊まりで睡眠不足で早く帰りたかったからで、NASO様が7時頃渋谷を通りかかったのもなにかしらの理由があったはずで、お互いの事情を全部見通せたとしたらすべて必然のことで偶然なんてないんだよね。
その他のことに関してもそうで、サイコロを振ってなにが出るかはランダムに見えるけど、サイコロの形や重さ、振るときの力の強さや方向、机の表面の形状や硬度なんかを総合して計算すれば手を離れた時点で既に出る目は決定してるはず。
ひとつの結果に対して複数の原因が絡んでるから恐ろしく複雑で記述不可能に思えるけど、質的に絶対無理というより量的に無理なだけで、たとえ人類の能力では不可能だとしても理論上はひとつの結果がどう引き起こされたのか記述可能だと思う。そしたら逆もいえて、今起きてることのすべてを総合すればこれから起きることはすべて予測可能なんじゃないかな。今起きてることは世界が始まったときには起きることが決定されていて、これから起きることも現時点で既に決定済みである、という考え。
ひとつの運命論だけど、どんな意思を持ってどんな行動をしても最終的に同じ場所に行き着くっていうような運命論じゃなくて、自分がどんな意思を持ってどんな行動をするのかも運命で決定されてるという運命論。まあ、こう考えることのメリットは「あのときああしていれば…」って後悔することが少なくなるくらいしかないけどw(そのとき与えられた情報でそのときの精神状態で判断する限りその行動以外取り得ない)
なんか話がそれた。偶然会ったっていうけどそれぞれその時間にその場所にいるのにはなにかしらの理由があって必然なのに、偶然に見えちゃうんだよねーというようなことを言いたかった。
もうちょっと偶然の出会いについて考えると、同じ学校に通ってる人(仮にAとする)に朝通学路で会ったとして、それが滅多にない事態だったとしても、たぶんそれを偶然とは思わない。Aがその時間その場所にいることは学校に行くためとわかっていて、何の意外性もないから。
でもどこかに旅行に行って、そこでAに会ったとしたら、「ものすごい偶然!」「世界は狭いなあ」と思う。
習慣化された行動をお互いに繰り返す限り、普段会わない関係にある二人が会うことはない。偶然会うってことが普段会わない関係の二人がどちらも相手を訪ねようといった意図なしに出会うこととするなら、どちらかがイレギュラーな行動をする必要がある。(「俺の場合、イレギュラーな活動が少ないしなあ。」とNASO様も書いてる。)
渋谷でNASO様が俺を見かけるってのは俺がイレギュラーな活動をした例だね。旅行先で会うのはお互いがイレギュラーな活動をしてる。
あ・・・自分でも何言いたいのかわけわかんなくなってきた。
てか夜中に何長文書いてんだろ俺。死にたい。
なんか…駅の乗車人数とか数字を揃えても…どういうとき偶然と感じるのかとか…偶然とはなんぞやについて考えておかないと…駄目かなと…思っただけです……
NAS○
2008年7月22日22:04
最後に数字を出したのは余計だったね。
話の次元が違うというか、不誠実というか。
理由を見つけ出すことのできる要素もあると思うけど、理由を見つけ出せない要素もあると思うんだよね。
分単位での必然性は、理由といえば理由になるのかもしれないけど、人間にはわからない部分だと思う。
あの日は、学校の図書館で勉強していていつもなら6時ぐらいに帰るところを、思いのほか勉強がはかどっていたから、一区切りついた6時半ごろに帰ったんだよね。
もし、勉強のはかどり具合が少し悪かったら、帰るのは5分遅れてたかもしれないし、もっと悪かったら6時に帰っていたかもしれない。
どちらのケースでも密費でを見かけなかったと思う。
たとえば、俺の勉強のはかどり具合は「神」しか知りえなかったと思う。
そもそも、そういったことを知る「神」がいるのだろうか。いないんじゃないかな。
ミクロの世界の動きが確率的ならば、全てのことが確率的だから。サイコロの目も手を離れた時点ではわからないと思う。
「神」がいるにせよ、いないにせよ、人類にとっては偶然なんだよね。
確かに、偶然と感じるかどうかというのは確率の高低というよりも意外性で決まるのかもね。意外性は確率と無関係ではないけども。
だから、自分にはどうにもならない要素が多ければ多いほど、偶然と感じる度合いは強くなる。
人によっては、そりゃそうだろ、何を今さらって思ってるかもしれないけど、この考えを前にして、今、少し「スッキリ」した。
運命について。
普段はあまり意識しないけど、何か大きな出来事(特に負。大きくない時もある。)にぶつかったとき、これは「運命」が「俺がこの出来事にぶつかったほうが将来的に良い」と判断したからこの出来事にぶつかってるんだろうな、とは思う。運命だな、と思う。
自由意志と言うけど、「〜をしよう」と決定したと自分で意識する前から、脳の中で活動が起きている、ということを示した実験を聞いたことがある。
全ての意志がそうならば、自由意志なんてないのかもしれない。
決定論の話と自由意志の話はちょっと違うかもね。
全てが決定されているってことはあまり受け入れられないんだよなあ。なんとなくでしかないけど。
密費で
2008年7月24日19:43
話の次元とか、そういうのはむしろ俺の方が気にしてないから構わないよ。ていうかどんどん次元の違う話に行ったりした方が面白いと思ってる。
俺としてはなんとなく偶然知り合いを見かけるっていう話に興味を持って、色々考えられるなと思ってコメントしてるだけだしw 目的を定めていわゆる「議論」をしているってつもりはなくて、むしろ思いつきでどんどん話を広げてみたらなんか面白いことが見つかるかも、って期待してる感じ。
セレンディピティっていう言葉があって、なにか探してるときに別のものを偶然見つける能力のことなんだけど(
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3 知ってたらごめん)、そういう風になんとなく偶然とかスモールワールドとかについて考えてたら想定外の方向に話が広がって面白くなったらなー、と思う。
「理由を見つけ出せない要素もあると思う」っていうけど、「理由がない」のと「理由があるけどわからない」じゃ全然違うと思う。俺は人間にわからないとしてもすべてのことには理由があるんだと思うなあ。勉強のはかどり具合も体調とか精神状態と関係すると思うし。
すべて見通せるような「神」がいるかいないかは(勿論いないんだけど)どうでもいいんじゃない? 誰も知らないからそれ自体がないってわけじゃないでしょ?
ちなみに俺が全部決まってると思うのはあの有名なカオス理論(
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96←ぶっちゃけ何書いてあるのかわからないところが多すぎるw)の影響。カオスは予測不能だけど、ランダムってわけじゃなくて、予測不能ながらちゃんと法則に従ってる(らしい)。
ただ、人類にとっては偶然というのには同意。
「偶然と感じるかどうかというのは確率の高低というよりも意外性で決まるのかもね。意外性は確率と無関係ではないけども。」って書いてあるのを見て俺も「スッキリ」した。色々ぐちゃぐちゃ書いたけどこう簡潔にまとめられてはいなかったから。
矢印で影響を表すと、
確立→意外性→偶然と感じるか
って感じか。
(これをひとまず正しいとすると)確立と偶然と感じるかは関係してるけど直接的ではないわけだけど、似たように、関係してるけど直接的な関係ではない事柄について直接の関係があるように勘違いしちゃってることってありそう。もしかしたら意外性と偶然も実はもうワンクッションあるのかも。
悪い出来事にぶつかったときに「運命だな」って思えるのはいいね。そういうポジティブさは、精神的にも、実利的にもプラスの影響を及ぼすと思う。
いいとか悪いとかも主観だもんね。
現状を肯定的に捉えられれば、過去の不幸と見られがちなことも(その当時否定的に捉えていたとしても)肯定的に捉えられると思う。
貧乏から成り上がった人とか、若いときの苦労のおかげで今の自分があるみたいなこと必ず言うしw 逆に現状を否定的にしか捉えられないと過去の境遇とかにも否定的になる感じがある。加藤容疑者とか。そういう人は現在が未来にも悪影響を及ぼしてるって考えてるんじゃないかな(根拠はない)。まあ確かに捉え方次第ではあるんだけど、巷の成功本にあるみたいに心がけ次第で簡単に捉え方を変えたりは出来ない。思考パターンとして染み付いちゃってるからね。そういう点で可哀想だし、今を肯定できる人はその幸せを自覚するべき…かな?
(今のことを未来目線を仮想的に作って肯定する話だったはずなのに、今目線で過去を肯定する話に摩り替えて申し訳ない)
すべてが決定されているって受け入れられないって言うけど、決定されてたとしても俺達には決定された未来を知ることはできないんだから、俺達目線では決定されてないのと同じで、別に構わなくない?
NAS○
2008年7月28日16:37
話のネットサーフィンみたいな感じだね。まあ、人間の会話なんてそんなものか。
因果関係らしきものがあっても直接的な因果関係でないってことがよくあるのは確かだよね。
注意してないと何が本質的なのかわからなくなっちゃう。
うん、嫌な過去も肯定的に捉えられるってのは幸せだ。俺は結構ポジティブな方だと思う。
自分で必死に納得しよう、自己肯定しようって思ってるだけなのかもしれないけどね。
せっかく自分の身に起きた事だと思うと否定したくはないんだな。
話は少し変わるけど、レポートとかを一からやり直せる人はすごいと思う。
例えば、レポート・文章等を書いてみたものの、途中で「なんか違うなあ」と思い始める。
そういう時、俺だと「せっかく書いたから捨てるのはもったいないな」と思って、メインとしてあるいは部分的にでも残すんだよね。
一からやり直せる人は、構成とか内容とか丸ごと変えて、前のことをバッサリ捨てられるんだと思う。
こういう人は、過去のことなんてどうでもいいやと思う人か、前のものを全部切っても、前のものを書いた事はがなんかしらの形で自分・新たなものに良い影響をもたらす、と心から思える人だと思うんだよね。
俺の場合、実は心では「過去の事がもたらす良い影響」を信じていないから、その見える証拠として残すのかもしれない。
俺の場合人生でもそうかもしれないな。
そりゃあいろいろ考えて文理でわけたばあいの理系に進んだわけだが、その要素の一つとして、「今まで理系向けの勉強やってきたし」があると思うんだよね。で、主に理系向けの勉強をやってた理由も様々ある中で「理転ならできるが文転は無理じゃね」があるんだよね。
俺には今まで歩いてきた道からはみ出す勇気がないんだよね。はみ出すことに少しあこがれつつも。つい「もったいない」と思っちゃってね。
あと、今「一からやり直す」ってタイプしてる最中に、一からやり直すと書くか、ゼロからやり直すと書くか一瞬迷った。
過去を肯定的に捉えたいと「一からやり直す」になるんだろうね。
どちらを使うかで、書き手の考えが少しわかるかもね。
全てのものが決まって動いてる、ってことを考えると、俺たちは操り人形でしかないのか、みたいなことを思っちゃうんだよね。
なんだか悔しいというか。
無力さをつきつけられるというか。
ドラマを見るのも十分楽しいし、それに参加するとなればなおさらなんだろうけど、うーん、脚本のあるドラマでしかないのかなあってな。
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ところで、小学校卒業してから6年ちょっと、小学校の同級生を偶然見かけたことが二桁ないんだけど。地元なんだから駅とかでもっと頻繁に見かけてもいいような…。地元って案外広いのか?w
偶然「会った」ことに目がいきがちだけど、顔見知りならそれこそ100人以上いるわけで、その大半が東京で活動してるのに、たとえ新宿や渋谷や池袋みたいな遭遇率の高そうなところに行っても、だいたいの場合はその誰とも「会わない」っていうことに目を向けても面白いんじゃない? 少なくとも予期せず知り合いに会ったときに「世界は狭いんだなあ」と思っちゃうくらいには世界は広いよね。頻繁にそういうことがあれば偶然とも感じなくなるから。
そうか。そんなにレアなケースだったのか。話しかけてみればよかった。
2桁ないって少ないな。俺小学校地元じゃないのに渋谷とかで6人ぐらい見たことあるよ(それぞれ別の機会で)。
まあ渋谷が通学路に入ってると、登下校の時間帯はどこの高校も似たようなものになるから、そういう人たちに会うのは「偶然」といっていいのかわからないけど。
登校する時間帯ってだいたい決まってるから、会わない人とは会わないんだよね。
同じ駅を使う小学校の同級生には全く会わなかった。
なるほど。世界が広いという前提あっての「世界は狭い」だよね。ちょっと話は変わるかも知れないけど、えてして人は印象に残ったことだけ覚えていて、特に何もなかった時(or予想通り)のことは記憶から消えちゃうよね。偶然が多いかのように感じちゃうよなあ。俺、脳内でこの論理を駆使して、勝手に物事に納得することが結構ある。
概算でいいからどれくらいの確率で会うかっていうのがわかったら面白いなあ。
電車使ってる時ってあんまり回りの人の顔とか見ないこと多いからなあ。
俺の場合、イレギュラーな活動が少ないしなあ。
ちなみに、JR新宿駅の1日平均乗車人員 785,801人。JR渋谷駅の1日平均乗車人員 445,730人。
私鉄とかもあわせると、乗降人数の概算は両駅とも300万を越える。
『公園のベンチで長い時間ぼんやりしていると、風景というものが実は意識的にしか見えないものだということに気付く。波紋の広がる池、苔生した石垣、樹木、花、飛行機雲、それらすべてが視界に入っている状態というのは、実は何も見えておらず、何か一つ、たとえば池に浮かぶ水鳥を見たと意識してはじめて、ほかの一切から切り離された水鳥が、水鳥として現れるのだ。』(吉田修一「パーク・ライフ」)
見たもの(人)と概念(人の名前)が一致しないかぎりそれ(その人)を見たことにはならないんだなあ。当たり前のことだけど。
偶然とひとくちに言うけど、俺が月曜に渋谷に行ったのはMTGの新エキスパンションのプレリリースの直後でMTGして遊びたくなったからで、普段渋谷で遊んだら結構遅くまで帰らないのに7時っていう比較的早い時間に帰ったのは前日漫喫泊まりで睡眠不足で早く帰りたかったからで、NASO様が7時頃渋谷を通りかかったのもなにかしらの理由があったはずで、お互いの事情を全部見通せたとしたらすべて必然のことで偶然なんてないんだよね。
その他のことに関してもそうで、サイコロを振ってなにが出るかはランダムに見えるけど、サイコロの形や重さ、振るときの力の強さや方向、机の表面の形状や硬度なんかを総合して計算すれば手を離れた時点で既に出る目は決定してるはず。
ひとつの結果に対して複数の原因が絡んでるから恐ろしく複雑で記述不可能に思えるけど、質的に絶対無理というより量的に無理なだけで、たとえ人類の能力では不可能だとしても理論上はひとつの結果がどう引き起こされたのか記述可能だと思う。そしたら逆もいえて、今起きてることのすべてを総合すればこれから起きることはすべて予測可能なんじゃないかな。今起きてることは世界が始まったときには起きることが決定されていて、これから起きることも現時点で既に決定済みである、という考え。
ひとつの運命論だけど、どんな意思を持ってどんな行動をしても最終的に同じ場所に行き着くっていうような運命論じゃなくて、自分がどんな意思を持ってどんな行動をするのかも運命で決定されてるという運命論。まあ、こう考えることのメリットは「あのときああしていれば…」って後悔することが少なくなるくらいしかないけどw(そのとき与えられた情報でそのときの精神状態で判断する限りその行動以外取り得ない)
なんか話がそれた。偶然会ったっていうけどそれぞれその時間にその場所にいるのにはなにかしらの理由があって必然なのに、偶然に見えちゃうんだよねーというようなことを言いたかった。
もうちょっと偶然の出会いについて考えると、同じ学校に通ってる人(仮にAとする)に朝通学路で会ったとして、それが滅多にない事態だったとしても、たぶんそれを偶然とは思わない。Aがその時間その場所にいることは学校に行くためとわかっていて、何の意外性もないから。
でもどこかに旅行に行って、そこでAに会ったとしたら、「ものすごい偶然!」「世界は狭いなあ」と思う。
習慣化された行動をお互いに繰り返す限り、普段会わない関係にある二人が会うことはない。偶然会うってことが普段会わない関係の二人がどちらも相手を訪ねようといった意図なしに出会うこととするなら、どちらかがイレギュラーな行動をする必要がある。(「俺の場合、イレギュラーな活動が少ないしなあ。」とNASO様も書いてる。)
渋谷でNASO様が俺を見かけるってのは俺がイレギュラーな活動をした例だね。旅行先で会うのはお互いがイレギュラーな活動をしてる。
あ・・・自分でも何言いたいのかわけわかんなくなってきた。
てか夜中に何長文書いてんだろ俺。死にたい。
なんか…駅の乗車人数とか数字を揃えても…どういうとき偶然と感じるのかとか…偶然とはなんぞやについて考えておかないと…駄目かなと…思っただけです……
話の次元が違うというか、不誠実というか。
理由を見つけ出すことのできる要素もあると思うけど、理由を見つけ出せない要素もあると思うんだよね。
分単位での必然性は、理由といえば理由になるのかもしれないけど、人間にはわからない部分だと思う。
あの日は、学校の図書館で勉強していていつもなら6時ぐらいに帰るところを、思いのほか勉強がはかどっていたから、一区切りついた6時半ごろに帰ったんだよね。
もし、勉強のはかどり具合が少し悪かったら、帰るのは5分遅れてたかもしれないし、もっと悪かったら6時に帰っていたかもしれない。
どちらのケースでも密費でを見かけなかったと思う。
たとえば、俺の勉強のはかどり具合は「神」しか知りえなかったと思う。
そもそも、そういったことを知る「神」がいるのだろうか。いないんじゃないかな。
ミクロの世界の動きが確率的ならば、全てのことが確率的だから。サイコロの目も手を離れた時点ではわからないと思う。
「神」がいるにせよ、いないにせよ、人類にとっては偶然なんだよね。
確かに、偶然と感じるかどうかというのは確率の高低というよりも意外性で決まるのかもね。意外性は確率と無関係ではないけども。
だから、自分にはどうにもならない要素が多ければ多いほど、偶然と感じる度合いは強くなる。
人によっては、そりゃそうだろ、何を今さらって思ってるかもしれないけど、この考えを前にして、今、少し「スッキリ」した。
運命について。
普段はあまり意識しないけど、何か大きな出来事(特に負。大きくない時もある。)にぶつかったとき、これは「運命」が「俺がこの出来事にぶつかったほうが将来的に良い」と判断したからこの出来事にぶつかってるんだろうな、とは思う。運命だな、と思う。
自由意志と言うけど、「〜をしよう」と決定したと自分で意識する前から、脳の中で活動が起きている、ということを示した実験を聞いたことがある。
全ての意志がそうならば、自由意志なんてないのかもしれない。
決定論の話と自由意志の話はちょっと違うかもね。
全てが決定されているってことはあまり受け入れられないんだよなあ。なんとなくでしかないけど。
俺としてはなんとなく偶然知り合いを見かけるっていう話に興味を持って、色々考えられるなと思ってコメントしてるだけだしw 目的を定めていわゆる「議論」をしているってつもりはなくて、むしろ思いつきでどんどん話を広げてみたらなんか面白いことが見つかるかも、って期待してる感じ。
セレンディピティっていう言葉があって、なにか探してるときに別のものを偶然見つける能力のことなんだけど(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3 知ってたらごめん)、そういう風になんとなく偶然とかスモールワールドとかについて考えてたら想定外の方向に話が広がって面白くなったらなー、と思う。
「理由を見つけ出せない要素もあると思う」っていうけど、「理由がない」のと「理由があるけどわからない」じゃ全然違うと思う。俺は人間にわからないとしてもすべてのことには理由があるんだと思うなあ。勉強のはかどり具合も体調とか精神状態と関係すると思うし。
すべて見通せるような「神」がいるかいないかは(勿論いないんだけど)どうでもいいんじゃない? 誰も知らないからそれ自体がないってわけじゃないでしょ?
ちなみに俺が全部決まってると思うのはあの有名なカオス理論(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96←ぶっちゃけ何書いてあるのかわからないところが多すぎるw)の影響。カオスは予測不能だけど、ランダムってわけじゃなくて、予測不能ながらちゃんと法則に従ってる(らしい)。
ただ、人類にとっては偶然というのには同意。
「偶然と感じるかどうかというのは確率の高低というよりも意外性で決まるのかもね。意外性は確率と無関係ではないけども。」って書いてあるのを見て俺も「スッキリ」した。色々ぐちゃぐちゃ書いたけどこう簡潔にまとめられてはいなかったから。
矢印で影響を表すと、
確立→意外性→偶然と感じるか
って感じか。
(これをひとまず正しいとすると)確立と偶然と感じるかは関係してるけど直接的ではないわけだけど、似たように、関係してるけど直接的な関係ではない事柄について直接の関係があるように勘違いしちゃってることってありそう。もしかしたら意外性と偶然も実はもうワンクッションあるのかも。
悪い出来事にぶつかったときに「運命だな」って思えるのはいいね。そういうポジティブさは、精神的にも、実利的にもプラスの影響を及ぼすと思う。
いいとか悪いとかも主観だもんね。
現状を肯定的に捉えられれば、過去の不幸と見られがちなことも(その当時否定的に捉えていたとしても)肯定的に捉えられると思う。
貧乏から成り上がった人とか、若いときの苦労のおかげで今の自分があるみたいなこと必ず言うしw 逆に現状を否定的にしか捉えられないと過去の境遇とかにも否定的になる感じがある。加藤容疑者とか。そういう人は現在が未来にも悪影響を及ぼしてるって考えてるんじゃないかな(根拠はない)。まあ確かに捉え方次第ではあるんだけど、巷の成功本にあるみたいに心がけ次第で簡単に捉え方を変えたりは出来ない。思考パターンとして染み付いちゃってるからね。そういう点で可哀想だし、今を肯定できる人はその幸せを自覚するべき…かな?
(今のことを未来目線を仮想的に作って肯定する話だったはずなのに、今目線で過去を肯定する話に摩り替えて申し訳ない)
すべてが決定されているって受け入れられないって言うけど、決定されてたとしても俺達には決定された未来を知ることはできないんだから、俺達目線では決定されてないのと同じで、別に構わなくない?
因果関係らしきものがあっても直接的な因果関係でないってことがよくあるのは確かだよね。
注意してないと何が本質的なのかわからなくなっちゃう。
うん、嫌な過去も肯定的に捉えられるってのは幸せだ。俺は結構ポジティブな方だと思う。
自分で必死に納得しよう、自己肯定しようって思ってるだけなのかもしれないけどね。
せっかく自分の身に起きた事だと思うと否定したくはないんだな。
話は少し変わるけど、レポートとかを一からやり直せる人はすごいと思う。
例えば、レポート・文章等を書いてみたものの、途中で「なんか違うなあ」と思い始める。
そういう時、俺だと「せっかく書いたから捨てるのはもったいないな」と思って、メインとしてあるいは部分的にでも残すんだよね。
一からやり直せる人は、構成とか内容とか丸ごと変えて、前のことをバッサリ捨てられるんだと思う。
こういう人は、過去のことなんてどうでもいいやと思う人か、前のものを全部切っても、前のものを書いた事はがなんかしらの形で自分・新たなものに良い影響をもたらす、と心から思える人だと思うんだよね。
俺の場合、実は心では「過去の事がもたらす良い影響」を信じていないから、その見える証拠として残すのかもしれない。
俺の場合人生でもそうかもしれないな。
そりゃあいろいろ考えて文理でわけたばあいの理系に進んだわけだが、その要素の一つとして、「今まで理系向けの勉強やってきたし」があると思うんだよね。で、主に理系向けの勉強をやってた理由も様々ある中で「理転ならできるが文転は無理じゃね」があるんだよね。
俺には今まで歩いてきた道からはみ出す勇気がないんだよね。はみ出すことに少しあこがれつつも。つい「もったいない」と思っちゃってね。
あと、今「一からやり直す」ってタイプしてる最中に、一からやり直すと書くか、ゼロからやり直すと書くか一瞬迷った。
過去を肯定的に捉えたいと「一からやり直す」になるんだろうね。
どちらを使うかで、書き手の考えが少しわかるかもね。
全てのものが決まって動いてる、ってことを考えると、俺たちは操り人形でしかないのか、みたいなことを思っちゃうんだよね。
なんだか悔しいというか。
無力さをつきつけられるというか。
ドラマを見るのも十分楽しいし、それに参加するとなればなおさらなんだろうけど、うーん、脚本のあるドラマでしかないのかなあってな。