ありがとう

2009年11月3日
今日はしゅいげつを始め、集まってくれたみんなどうもありがとう。

今日は体調があまりよくなかったから、文化祭行くのを少しためらった。
結局コントのファイナル公演だけ見ることに。
実際見ると、終始大爆笑。
体調が悪かったし、あまり意気込んでなかった、という理由もあるかもしれないが、面白かった。
(見る側は、意気込まない方が面白く感じると思う。)
大学に入って以降、テレビで漫才とかコントのネタはほとんど見てなかった。
わざわざ時間をつぶしてまで見ることないや。そう思うようになってたし。
そう思うと、ネタを見ても冷めた目で見るようになる。そうなったらもう笑えない。
そんな状態だったから、まさか漫才・コントで自分がこんなに腹の底から笑うことが出来るなんて思ってもみなかった。生の公演ということも大きいかも。
笑わせてもらっただけじゃなくて、何かを思い出させてくれた。
一つは自分たちの時のこと。
去年はあんまり感じなかったな。ようやく卒業した、ということなのかな。
もう一つはお笑いのこと。
高2の時、文実業務で疲れた中見た55期のコントは、俺を腹の底から笑わせてくれて、疲れとか眠気とかふっとばして時間を忘れさせてくれるものだった。身体を洗ってくれるかのような。この体験が俺がコント班に入った大きな理由の一つだと思う。
今日はその時と似ていた。
体調の悪さをふっとばしてくれて、時間を忘れさせてくれた。
漫才やコントの笑いは、毎日が楽しいとき、気分がいい時は、はっきり言って必要ない。
そりゃ本当に面白いネタはそういう時でも笑えるし、作品としてすばらしいと思う。
ただ、お笑いが力をもってくるのは、気がめいっている時、体調が悪い時だと思う。そんな時のためのものであってほしい。
気分を変えさせたり、時間を忘れさせたり。こんな時、笑いっていいなあ、と思う。

毎日、どこかしらには、身体や心の調子のよくない人がいると思う。
そういう人にとっては、ネタの完成度や新鮮味よりも笑わせてくれることの方が大切かなと思う。
それを考えると、大して新しさもオリジナリティもないネタだとしても、いや、むしろそっちの方が多くの人に受けるから、そういったようなネタが毎日懲りずにテレビで消費されていくことは、あながち悪いことでもないのかもしれない。
(ただ、これは全体を踏まえた話で、個人の側からの話としては別。年がら年中お笑いを見ている人というのはどうかと思う。)

2時間しかいなかったけど、本当に行ってよかった。

では。

追記。

ネタの内容は覚えてなくてもいいから、面白かったという気持ちを覚えていてほしい、っていうスタンス。この大事さを改めて実感した。
まあ、高3時代の俺はむしろ逆のスタンスだったけど。新しさやオリジナリティを追求したし、記憶に残るようなネタをやりたいと思っていたし。

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